2008年3月19日水曜日

システム自体総崩れ

(私の寿命はもうそんなに長くないかもしれない。)

システムというとプログラム的なシステムの事だけだと思っている人たちが多いが、先にさんざん述べている通り「社会システム」というものは、プログラム的なシステムの上位にある大きなシステムだと言ってもいいだろう。戦後、アメリカの民主主義化によって急速にシステムを組み上げた日本は、バグだらけの欠陥社会システムを組み上げた。これは別に日本だけの問題ではない。指数関数的に負債としてのお金を刷っていく資本主義という名の化け物の影響を、ほとんどの国が受けている。不具合のあるプログラムや悪意のあるプログラムがユーザーに不利益をもたらすのと同様に、社会システムの不具合は、私たちをあらゆる不幸へと導く。

本来なら、社会システムには適切なパッチを当てるであるとか、どうしようもないければ、システムそのものを刷新してしまうしかない。しかし、様々な事情や思惑や勘違いや見栄やプライドや私利私欲や未熟な人の精神システムが交錯する中、適切なシステムに仕上げていく事は困難を極める。困難なだけならまだ可能性が残されている。しかし、現状の人類システムはもはや、滅亡のシークエンスに入っているように思われる。良かれ楽しかれと思って後先考えずに、文字通り何でもやってきてしまったから、システムに不具合があるというより、「どうしようもない下手なプログラマーたちが書いたシステムとも呼べないようなもの」が、現状の世界である。

システム自体が総崩れになり、特定の業界そのものが立ち行かなくなったりする事は歴史上よくある事だ。昔株式日記さんに取り上げてもらった記事で書いた通り、何でもタダで手に入る娯楽産業も、各会社をネットワークでつなぐ社会システム課を設けていなかったから、安かろう良かろうという安易で何も考えていない方法を各社がとって、今ではもはや壊滅はまぬがれない。

この先に、カリスマ的指導者が仮に出て来たとしても、その人は暗殺されるのがオチである。














































































































人類は、遊び過ぎた。




















神は必ずしもピンポイントで罰を下せるわけではない。多くの巻き添えが出たり、文明そのものが崩壊する事も歴史上珍しくない。生物学上は、大絶滅の後に生き残ったごくわずかのものが増えに増え、また生態系などのシステムを構築する。



























そんな、何も学ばない、何も本質的に進歩しないシステムに何の意味、存在意義があろうか?

だから、世界はこれからもうすぐ、一度壊れる予定になっている。





人類は罰を受ける時が来た。それが21世紀である。贖罪し、禊ぎ、悔い改めなければならない。
一見、絶望的な世紀のように思えるが、それは違う。霊的に見れば、個人レベルでは大きく飛躍するチャンスという事になる。

霊的側面、精神面の活動の結果、人は全ての行動を開始するのは当たり前だが、その根幹を罰をもって見直されるべき時がもう来ている。







予測になるが、結果的には、99.999999999999%の人は自分を救う事ができない故に、救われないだろう。社会が壊れるか、あるいは刷新されれば、既存の社会的価値は紙くずになる。日本国のために死ぬという価値が、瞬時に紙くずになったように既存の価値もまた、紙くずになる時が来ている。


変化は早い。おおよそ2010年から2012年には、考えられないような状況になっている・・事を、私は期待する。

CyberULSの水素文明の扉絵の件も、何はともあれ既存のダメシステムにNOと言っておきたかったのだ。





































































































































愚かな人類。神はもう人々を許しはしない。