人間はどんどん堕落していくと思うんですよ。(ひろゆき)
気になる記事を拾った。
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20080315/ogc2.htm
>ひろゆき氏が想像するのは、文字すら使わない、感覚的なコミュニケーションを
>媒介するメディアの姿だ。「人間はどんどん堕落していくと思うんですよ。
>一生懸命漢字を調べなければならないようなものよりも、『ちょww』て書いた
>だけで反応した気になれるメディアが今できてきている。次にはそれすら
>書かなくて、なんとなく『おれ楽しい〜』、とか『おれ幸せ〜』ていう、
>感覚だけを伝えるだけでコミュニケーションが成り立った『気がする』
>メディアが次に来るんじゃないかな、という気がしています」。
そういえば前、株式日記さんに取り上げてもらった記事も冒頭がひろゆき氏の発言で始まるが、流石に2chの管理人だけあって、スルーだけでなく釣りもうまいようだ。ここで言われている人間とは受け手の事である。クリエイター(もちろんPG含む)は逆にものを非常に考えている。はずだ。この記事のポストヒューマンも前に読んだ。だがしかし、記憶が海馬に溜まっているのではなくて、暗号のように脳全体に折り畳まれているのと同様、CPUのクロック的に「思考が速くなっている」と解釈するのは単純すぎないか、と私は思う。近年のリソースを馬鹿食いする複雑緻密なゲームは、非常に単純なロジックの上に成り立っている。根本的には人は何も進化しておらず、コンピュータが人間の進歩を加速させているという意見には私はどちらかと言えば明らかに「反対」だ。そもそも、コンピュータはなぜ収穫加速の法則に従って(ムーアの法則)進化できたのだろうか?そういう、誰も気にしない当たり前の所に疑惑の目を向けていかないと、何も始まらない。ネタバレすると、進化のスケジュールがあって、その通りに動いているだけなのだ。だが人間は進化しないばかりか、テクノロジによって堕落していく。その先に、既にお伝えしている金融破綻と世界のバランスチェンジがある。全ては仕組まれた事なのだ。私はもう既に、キーボードを打つのも、コンピュータを整備するのも、画面をモニタに向かってみる事もだるくなっている。一行の文章しか許容できないか、あるいはそれ以下の文章しか許容できない人間が増えた。複雑なプログラムを書いても、実現した事が全然複雑でない事も多い。複雑化しているのは見た目のグラフィックだけである。ルールやゲーム性は単純化する一方で、ひろゆき氏の言う通りユーザーはますます堕落していく。クリエイターがユーザーの堕落をサポートしているのだ。
私の作品はどうかと尋ねられると、多分、比較的複雑なメッセージを入れ込んではいるはずだ。ただ、私の作るものはたいていの場合2段型で、表面のきれいさと、その奥に隠されたメッセージという構造になっている。気がつく人は少ないし、フィードバックも帰ってこない。フィードバックの盛んさで言えば、炎上ブログが最高かもしれない。だがこれは明らかに知的ではない。知的さとフィードバックの多さは関係が無いのだ。むしろ、安易にほいほいフィードバックがかかってくるものは、開眼していない大衆に受け入れられている証拠という意味で、難しいものではないのかもしれない。心にズシンとくるものには、何も言えなくなる事がほとんどだった気がするのだが。
人が堕落しきる前に、圧倒的な変化が起こる。そういう段取り、スケジュールになっているのだから、一見知的に見えて実は的外れで自己満足的な議論は後々、「何をやっていたんだろう」と振り返られる事になるだろう。私が記事を見た限りでは、ひろゆき氏以外に、的を居ている人は居なかった。だが、ひろゆき氏は知っての通り生産的な人物ではない。
人はどこに向かおうとしているのか。それは神の決めている事である。凡人的天才が集まっても、的外れな議論になるだけだ。そこに必要なのはまず霊感であって、知ではない。本物のイタコのような人と、ジュセリーノと、TRONの教授と、アカシックレコード能力者とか、トミノ監督のような「奇人変人」を集めるといいかもしれない。言い出しっぺの私も参加する。もちろんタダで。
以前小説の続編の冒頭部分に書いたキャラクタのせりふだが、
>「真実というものは、普通人に遠ざけられる。
>それが真実が真実である事の一つの証明だ—だったっけ?」
>「そうだ」
http://meisyoumisetttei.seesaa.net/article/73261867.html
最初から読む場合
http://imfumeidesukara.seesaa.net/article/44947186.html
真実は一般人には手に入らない。どうして手に入らないかというと、求めようとしないか、真実そのものを拒絶してしまうからだ。真実は醜悪でどぎついものであるから、受け手にはそれを許容するだけの精神の「器(うつわ)」が必要になる。もし小さな器に無理に真実を流し込むと、器が壊れてしまう。