2008年3月1日土曜日

「真実の正体 前編」

あなたはどうして生まれてきたのでしょう。父母がセックスしたからです。生きる意味を子供に重ねる親もいます。何にせよ、どんなケースであっても親は子供に期待し、精神的に依存します。極論、子供が存在さえしていれば「子供のために私は生きている」という生きるための口実ができます。子供とは往々にして、親が生きるための依存用の道具なのです。だから私は子孫を残さないでしょう。この新たなる文書セクションも消しません。万が一、何かの間違いで私が子供を産ませてしまって、その子供に「なぜ生んだんだ。生まれてきたくなどなかった。」などと言われたら私は少なくとも土下座して謝るでしょう。

最初にはっきりさせておきましょう。人生は苦と楽のどちらが多いか。苦のほうが多いです。眠りにつくとき、普通は心地よいものです。それが、朝目覚めるとどうでしょう。目覚めが不快であるというのは人類共通です。睡眠という一種の仮死状態につくときは心地よく、目覚めは不快に感じる。もっと眠っていたいとは誰でも言います。ざっくりと言えば、それは「もう少し死んでいたい・・もう少しだけ死んでいたい・・」という事なのです。

あなたのモヤモヤした常識という名の霧をサッと晴らしてご覧に入れましょう。まず第一に、最大のモヤモヤは今、快晴に変わります。そうです、この世界には愛などありません。あるのは性欲と依存心だけです。残念ながら気高き理念というものも存在しません。あるのは野望と権力欲だけです。

坊主や僧もまた、一般的に性欲と権力欲のしもべである事は、もはや言うまでもない事でしょう。どうして、人間は性欲、食欲、睡眠欲、権力欲を強く持ち、依存体質なのでしょう。答えは非常に簡単なのです。生物だからです。人間はとても生物らしい生物なのです。ちょっと生物らしすぎて、生物の範疇からちょっと逸脱しているだけなのです。どれも、「生物システムとして生き延び繁殖するため」なのです。「生物システムとして生き延び繁殖するため」ではない行動を頭の中でリストアップしてみてください。少ない。そう、圧倒的に少ないのです。我々は人間である前に、生物なのです。

道路は血管のごとく地を這い、道路という名の血管ができればそこに街が生まれる。自分の身体の中でやっているミクロレベルの事を、日常生活の中で反復している。それが我々です。ところで、生命維持に必要なあらゆるコストはどのくらいの割合を占めているのでしょうか。実は、考えてみればわかる通り、ほとんど全部なのです。「娯楽や趣味、文化的に活動している時間はそうではない」と言う方も居ると思うのですが、趣味や娯楽もまた、脳という臓器を満足させるために行われている活動ですから、広い意味では生命維持の一環とも言う事ができます。

生物という意味では、すずめもイルカも昆虫も人間も同じ生物としての基本原則にのっとって行動しています。ごはんを食べるのも排泄するのも、生物だから。ただスタイルが違うだけです。同種を増やそうとする。人間の場合は、多彩なバリエーションを作る事によって危機を乗り越えられるチャンスを増やそうとしましたが、それは逆効果でした。一部の異端者によって、世界は滅亡の危機に瀕しています。わかりやすい例が核ですが、ここ20〜30年の新世代兵器は核やミサイルや銃、ナイフといったわかりやすいものから、わかりにくいものへと変わっています。地震にしか見えない地震兵器や特定の人種にしか効かないウイルス等です。

ただ、人間は明らかに他の種とは違う所があります。それは、まず「文明」がある事を前提にした生物になってしまっている事です。満足な体毛をなぜか失ってしまったので、服を開発しなくてはいけなくなりました。もちろんですが、服を開発したからふさふさの体毛が無くなったのではないです。それだったらわかります。しかしなぜ最初に体毛が無くなっているのでしょうか。これだけ行動のバリエーションが多岐にわたる生物も、個体によってひどく形状が違うという特徴も他には無いものです。ちなみに、サルからヒトになる中間の種の骨だけがどうしても見つからず、これをミッシングリンクと呼びます。この謎に対する私の解答はこうです。

「ハイテクノロジーを持つ地球外知的生命体が、サルに遺伝子操作などをを加え、意図的に人類を発生させた。」これだけなら、そんなばかなと思われるかもしれません。しかし、もう一つ無視できない大事件が生物史上ありました。カンブリア大爆発です。まだ原始地球、5億4200万年前から5億3000万年前の事とされています。途方もない昔の話しです。

引用ー「地球と生命の誕生と進化」より
http://nihon.matsu.net/seimei/09.kanburia.html
約5億5千年前、それまで数十数種しかなかった生物が突如1万種もに爆発的に増加しました。この時代、奇妙きてれつな形をした生物=バージェスモンスターが多数現れ、さながら地球上が生命の大実験場でした。

「さながら地球上が生命の大実験場でした。」というのは筆者氏の個人的な感想かと思われますが、私も同感です。さて、私が何を言わんとしているのかもうおわかりですね。そうです。地球外知的生命体が地球へやってきて、ハイテクを用いて実際、実験したのです。現在の我々の想像も及ばないようなハイテクを駆使する彼らにとって、生物とは組み替え式のおもちゃのようなものに違いありません。よくわからない解答をしたり「謎」と片付けるよりも、ずっとスマートな解答に思えます。問題は、その「生命の大実験場」という状態が今も続いているかという事です。答えは、わかりますね、もちろんイエスです。人類史上、知性と身体の両面で、あらゆる奇抜な人物が出現してきました。言わば、人間というレイヤーでカンブリア大爆発が起こっていたわけです。それに符合するかのように、月の裏には宇宙人が居るとの情報が今では一部に信じられています。月はなぜ表面しか見せないのでしょうか?物理学的に言って、そんな器用な挙動をする天体があっていいものなのか?こうやって振り返ってみれば、不自然な事だらけです。現代の日常レベルから生命の発祥に至るまで、不自然な・・つまり言ってしまえば「人為的な」事が多い事に気づかされます。もし、例えば月の裏の秘密基地から(※)多種多様な生物が織りなす全ての事象から好きなものを、例えばドーナツとミルクティーでものみながら観察する事ができたら。映画だって見放題、音楽だって聴き放題、のぞき放題です。そうです。生物実験以上に面白い実験などあろうはずがありません。遺伝子操作等で知性を持たせれば、科学技術や宗教や戦争を起こして目を楽しませてくれます。

我々生物は、何なのか。
その問いに一言で答えましょう。

我々は、ハイテクノロジーを持つ地球外知的生命体の、哀れな実験体です。

実際、それを裏付ける—つまり人類に地球外知的生命体が干渉してきたような事例が数多く報告されています。アメリカ政府が地球外知的生命体と取引しているであるとか、古代マヤ、シュメール文明にオーパーツや思わせぶりな壁画等が残されている事、ピラミッド等、ぶっちゃけた話し「9.11ではないが、証拠だらけで開いた口も塞がらない」状態です。人間、あまりに堂々とされると、かえって気がつかないものと言われますが、その通りです。ただ、スケールが何億年前であるとか、地球全体、ひいては宇宙全体、逆に我々や物質を構成している最小の単位は何かなど、常識のレベルからあまりにも飛躍しすぎると、ついていけない人が出るという事です。この、常識のレベルに留まる事を望み、そこから抜け出せない人たちの事を仮に「オールドヒューマン」と呼びます。常識から大きく逸脱しても破綻しない人々を仮に「ニューヒューマン」と呼びましょう。こう言うと、まるで新旧で差別しているように見えるかもしれませんが、この違いはおそらく生まれ持っての資質のほかに、教育と環境が大きいのではないかと考えます。

※実際に人工的な巨大建造物があり、アポロの船長も通信でそう言ったようです。

※後編は削除しました。