2008年3月27日木曜日

シ、詩、死、私、

連山いわく、アメロとかいう新通貨が世界通貨になるかもしれないとの事。アメリカ+ユーロの造語だそうな。アメリカの没落が確定したという事は、いわば、良くも悪くも世界を支えてきた屋台骨がはずれるという事だ。それが急だと、屋台が崩れる。複数人数で慎重に取り外さなければいけないのだが、なかなかそうはいかないかもしれない。各勢力がイニシアチブを取ろうと動き出す中で、世界は不安定になる一方。環境問題など実質そっちのけであろう。エコ対策の効果というのが実際どのくらい出ているか。知りたくもない数字が出てくるだろう。企業は生き残るためにITを使いたいと思っているようだが、ITが果たして何の役に立つというのか?コンピュータは万能ではないし、使うのも難しい。日本ではITを導入して役に立ったという解答は50パーセント程度である。50ということは、当たるも八卦、当たらぬも八卦という事である。75%が役に立ったと答えた米国は、それだけが原因ではないが没落する。ITは必ずしも最終的によい結果をもたらすとは限らないものだ。

さて、破滅願望というのは90年代から現在、未来に至るまで、ポピュラーなものとなっている。99年には「破滅だー!」とか言って盛り上がっていたらしいし、X japanは10年ぶりの再結成ライブで「破滅」「破壊」をキーワードにしている。チケットは「秒殺」で完売したそうだ。toshiの隠れ家のレストランで働いていた事があったのだが、toshiは怪しい宗教にだまされて「詩旅」と称して全国を慈善的に回っていたのだが・・。(X japanの時代をよく思っていないと言ってもいた)toshiは参加するのだろうか?

破滅願望とはそれ自体、おかしな話である。破滅は本来避けたいと思うものである。バブル期や旧来の日本では、破滅をテーマに盛り上がるという事はなかった。破滅をテーマに盛り上がり出したのは、明らかに日本がうまくいっていない時である。うまくいっていない時、それなら破滅してしまったほうがいっそ楽だと考えた時、人は破滅を望むようになる。破滅を望む人は普通、破滅がどういう恐ろしいものなのかをわかっていない。何か楽になるような事だと勘違いしている。破滅はひもじい、苦しい、痛い、汚い、醜いなどの状況を露呈させる。それでも破滅したいというのか?

破滅願望を心理学的にひもといていけば、死への欲動(デストルドー)あたりに行き着くだろう。人間は必ず死ぬ。それを早めたいという人は多い。問題は、死の後何十年もさまよう事が事実あるという事である。生きている間にしっかりと生きないと、しっかりと死ぬ事もまたできなくなる。言い換えれば、しっかり死後に魂を処理してもらうために、しっかり生きなければならないのである。死を、何か楽なものだと考えるのは間違っている。死後の世界を決める判断材料が、「人生で何をしたか」なのである。「終わりよければ全て良し」とも言うが、言い換えれば終わりが自殺であったりすると、終わりが悪い事になる。今までの苦労が水の泡となってしまう。自殺以外の成り行きで、いかに美しく人生の幕を引けるかなのである。惰性に任せて生きるのはそう難しくないが、人生が終わるその日をいかに美しく終えるかという問題は難しい。

最近の気軽に子供を産む茶髪の女性が、命の重さを認識しているとはとうてい思えない今日この頃である。