人間は生きて死ぬ機械か
(2007/03/03 19:23)
人間が生まれると、様々な義務が自動的に
発生します。排泄、食事、仕事、勉強、睡眠、運動、
さらには文化活動、知的活動、スポーツ・・
嫌でもやらなくてはならない事が山ほどできます。
それにひたすら対処しているうちに、
病死、事故死、寿命死などをむかえます。
人生にも、世界が存在する事にも意味はありません。
意味は、あると思えば存在する事になる
意識上のあやうい概念にすぎないのです。
福祉にはQOLの向上(Quality of Life)という
言葉が頻繁に出てきます。にも関わらず、
そのQOLを向上させる方法については
研究中というか、試行錯誤している現状のようです。
QOLの向上について人が考える時、
こんな問題が浮上します。
「人間の生きがいを提供するなんて事ができるのか」。
答えの出ない問題を解こうとしても、
答えはでません。それでも無理矢理解答を
出そうとすれば、それは「こじつけ的な思い込み」
になります。
文化、生きがい、やりがいというものは実はこんなに
脆弱な意識上の妄想なのです。
まさに、「砂上の楼閣」という言葉がしっくりきます。
その下支えになっている意識さえも実は砂上の楼閣と
いう事ができます。しかしその意識が無ければ
我々は世界を知覚する事もできないのです。
意識と意識上のすべてがアンバランスでファジーな
ものであるとすれば、そのままアンバランスで
ファジーなものとして扱うのが
とりあえず正解なのではないでしょうか。
人間は、「私は生きて死ぬ機械か」という
自問自答を課せられた生物です。私は、
そんな難題に少なからず立ち向かわなくては
ならないのが、福祉だと考えます。
そう、人生に答えなどありません。しかし
あると思えば、思う人の数だけ答えがあるとも言えます。
世界の根底には、尽きぬ問いかけがあるだけです。
生まれた意味に対する答えは、自分で勝手に作るしかないのです。
出産とは、究極的に無責任な行為とも言えます。
無責任に生命を生み出す事の馬鹿馬鹿しさを
意識的、あるいは無意識的に知った先進国の人々は
子供をなかなか生まなくなりました。
(もちろんそれだけが少子化の原因ではないですが、
一因をしては大きいと考えます)
単なる福祉従事者で満足するという事は、
「人は生きて死ぬ機械程度で良い」と思う事です。
その低レベルの満足は、施設内の虐待の温床にすら
なりかねません。
我々人間は、特に福祉従事者は、
その難題に常に立ち向かう姿勢を持つべきなのです。
あるのだかないのだかわからない複雑系の
砂上の楼閣の中で、意味を求めてさまようのは
大変むなしい事です。
これは歴史上、様々な著名人が繰り返し
言っている事でもあります。
その中で、じゃあオフにしてしまえという考えもあります。
世界を消してしまえ(テロ)、自分を消してしまえ(自殺)
という行為も世界には蔓延しています。
とりあえずそういうあからさまに不幸な結末に
ならないようにするには、人生を楽しむしかありません。
まず、楽しもうと思わなければ、楽しめないのです。
そこには支援というより、自発性が必要になります。
ただ支援に徹して甘やかすだけの介護でよいのでしょうか。
何でも支援してあげれば当然、人間はダメになります。
この事から、被介護者のQOLの向上させるためには、
本人から生きる事を楽しもうという自発性を引き出す
教育的アプローチが必要と考えます。
つまり、その観点から言えば
自分の人生さえ楽しいと思えない、自発的に人生の楽しみを
作り出せない人は介護に向いていないと
言う事ができそうです。どうせこじつけの
嘘っぱちであろうとも、生きるには希望が必要なのです。
私はそのためにITが少なからず役に立つと考えております。
1.ノリメタンゲレ 削除 (2007/03/03 19:52)
ぼくは門外漢ですが、介護も患者さんとのコミュニケーションですよね。
そのコミュニケーションの中のなかから、HogeHogeさんの言うところの「楽しみ/希望」が生まれてくるんだろうな、となんとなく思いました。
2.立てよ簡単戦士カンタンマン 削除 (2007/03/03 19:55)
いや〜僕まだ学校にも入ってない(もうすぐ入る)んですけどね。
最近、お互いコミュニケーションの重要さを認識させられる事が多いですね。
3.ノリメタンゲレ 削除 (2007/03/03 19:57)
ですね。
結局いろんなものがそこに行き着いちゃう今日この頃です。
来月からですね。
新しい生活ですね。
4.立てよ簡単戦士カンタンマン 削除 (2007/03/03 20:13)
>結局いろんなものがそこに行き着いちゃう
そうなんですよ〜。いや〜シンクロニシティですね〜。
新しい生活にワクテカとガクブルですww
5.kazzbay 削除 (2007/03/03 20:20)
“福祉の世話になっているだけの半端者”と
家族からも罵られひっそりと家の中だけで
人生を送ってきた人とでも
平等に対話ができるインターネットやメールの世界…
それだけでもこの箱の意味がすごいことに
いつも思いをはせることしきり。
「電脳」って…よく言われますけど
実は
「電体」じゃないかなとも思います。
6.立てよ簡単戦士カンタンマン 削除 (2007/03/03 20:24)
>「電体」
おぉ。革新的な言葉が生まれた瞬間ですよ。
インターネット特有の平等さは好きですね。
妙に弱い人にやさしい感じがする。僕もそうでした。
障害者系では、コンピュータが身体機能を代替する
(かわりにしゃべるとか)事もあるようです。
7.kazzbay 削除 (2007/03/03 20:41)
ホーキング博士とかみてるとすごいですよね。
8.ハレルヤ(仕事逝って来ます(´-ω-`)) 削除 (2007/03/04 08:06)
http://www.hi.sfc.keio.ac.jp/access/research/rep01/ps/3-2-19.gif
はっきりいってこの人(・∀・)カコイイ
9.kazzbay 削除 (2007/03/04 14:58)
博士が宇宙論の講演会で
登壇してロボットボイスで
Can't you hera me?
「みんな聞こえる?」ってしゃべったとたんに
ロックアーチストばりに
割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こる。
10.ハレルヤ(仕事逝って来ます(´-ω-`)) 削除 (2007/03/04 15:47)
ロックすぎる
博士に抱かれたい(´・ ∀・`)
11.ハレルヤ(仕事逝って来ます(´-ω-`)) 削除 (2007/03/04 15:49)
ホーキング=ヘンドリックスと改名して( ゚д゚)ホスィ…ほど
(・∀・)カコイイ
・・・・二度寝しますおやすみなさい(´-ω-`)
愛は確かに全てを救う(前回の続き)
(2007/03/04 11:46)
つまり、
「より良く存在してほしいという願い」
ではないかと思う。
最終的に、茂木健一郎さんの最新のクオリア日記を
読んでいてそう思った。
この図書室でさんざん繰り返し述べてきたが、
(HogeHoge Worldから転載しています)
「世界は思い込みしだい」なのだから、
せっかくなら良いほうに思い込むのがベストだ。
そのために色々実現しようと努力するのは、
(これも初期に述べたが)思い込みと物理世界の
ギャップをなくすための作業にすぎない。
物理世界のほうがハッピーになる事はない。
全ては捉え方次第なのである。
「より良く存在してほしいという願い」が
愛なのだとすれば、確かにその思い込みは
世界、人々をを救ってしまうはずだ。
最後に一言だけ言わせてくれ。
「より良く思い込め!より良く願え!
存在している事は素晴らしいと思え!
そうすれば幸福になれるんだよ!」
中村剛志(HogeHoge)
憂鬱の根元に迫る (マイサイトから転載)
(2007/02/21 20:55)
高度なテクノロジーは魔法と区別がつかない。
だから、このさいそれらは魔法だと宣言してしまおう。
魔法のように見える対象はなぜ魔法のように見えるか。
「欺術」という言葉もあるが、本質はそこにある。
メディア魔法のキモは、人に効果的に
説得力のある(実際には説得力だけの)
心地よい幻覚を見せるための地道な作業である。
魔法使いは孤独で、魔法に少なからず失望している。
そのタネの地味さ、つまらなさを知っているからだ。
幻覚を楽しむのにさえ半分飽きている。
同時に彼らは、自分の精神さえ飲み込んでしまうような
数学的深淵に畏敬の念を絶やさない。
魔法のある重要な側面とは、「都合の良さ」だ。
魔法は都合よく問題を解決する。また、安直な快楽を
提供する。人々は、都合の悪い事を片付けてくれて
都合の良い事を無償で提供してくれる魔法が欲しい。
都合よくするため、面倒事を片付けるため、
安楽を享受するために魔法は消費される。
だから魔法はいつも必要とされ、役立つ。
魔法使いは多くの場合、魔法の素晴らしさに魅入られて
身を持ち崩す。他人の甘い賞賛のために自分の身を削り、
自分の人生を乱暴に扱って、病院送りならまだいいほうだ。
私?私はもうこりごりだ。
魔法に懲りたから、現実を見ようと写真をやっている。
しかしその現実もまた、数学の産物にすぎない。
原始的なコードで描かれた超複雑系の世界。
だからこそ、その写真は義母を求めて
ラップトップコンピュータに帰っていく。
この世界さえもプログラムだとしたら、
この世界は、そして我々はまだ目覚めていないのか。
永遠に醒めない、痛みを伴う幻覚のプログラムの中を
歩き続ける我々。常時稼働し続ける世界というサーバ。
誰だって逃げ道が欲しくなるわけ。
そして魔法を求め、その過程においてまたプログラムの中へと
引き戻される。メビウスの輪のように抜けられないループ。
それはさながら、ある命令の繰り返しにはまって
応答を停止したコンピュータのようだ。
それに耐えられず、電源を落とす人も先進国には多い。
もしこの世界に神が居るとしたらそれは多分、
悲しい天才プログラマに酷似した存在のはずだ。
最後に残るのは、哀れみか、慈しみか。どちらにせよ、
天才は基本的に不幸な存在なのかもしれないよ。
1.ハレルヤ(仕事逝って来ます(´-ω-`)) 削除 (2007/02/22 00:02)
父さんもサケデリックキチガイ日記を(´・ ∀・`)!!!!!!!!!!!!!!
ええね(´・ ∀・`)
ガンガン逝こうぜ
おさすみなさい .*:.。.:*・゚(´・∀・`) .*:.。.:*・゚
2.立てよ簡単戦士カンタンマン 削除 (2007/02/22 10:28)
いいのかなぁ。まぁいいや。