基本的にすさんだ人間関係だったためか、良い人に遭遇する確率は低かった。がしかし、ごく稀に、良い人としか形容できない人に遭遇する事もあるのも事実である。
そういう人たちは、根本的に何かが違う。借りにその人たちを「天使のような人たち」と呼ぼう。なぜそんなに人の心配をするのか、自分の事はどうでもいいのかと思わせる行動をとる。我慢強く、行動力や何らかの才能が飛び抜けているほか、不平不満を言わない。グチもこぼさない。本当に人間かと思う人というのは、いるものです。
私は性悪説の支持者なので、人の良い所を見つけるより先に、構造の問題であるとかを見つけるほうが得意だ。
また、天使のような人たちで、「オジサン」というケースもある。
思えば、ニュースは悪いニュースを流すのが基本である。どこそこで良い事がありましたという事は報道しない。なぜ悪いニュースばかり流す事になったのかは、明確な理由がある。悪いニュースは恐怖感を与えるように作られている。人間は動物なので、本能的に恐怖を無視する事ができない。また、同様の理由で、どなり声を無視する事もできない。視聴率や発行部数を簡単にのばす方法が、恐怖を取りいれるという事だったのに加えて、結局多くの受け手が、恐怖を選んだという事である。
人という構造は壊れており、人の不幸は蜜の味という言葉もある。自分の事だとしゃれにならないが、他人に不幸があれば幸せという事らしい。今日の社会で、人の良い所を見つけ出す事は困難だ。理論的に考えていけば、必ずと言っていいほどオイシイ理由や利害関係があって、理論的であるが故に絶望的である。しかし、そういう人たちは根本的に考え方が普通の人と異なるように思えてならない。そしてたいていの場合、なぜか早死にされたり、苦労しているケースが多い。
人の良い所とは、一体なんであろうか?
しかし、人以外のものから良い所を見つけるのが非常に得意だから、DP4MacBoosは成功している。
人に関しては、正直、わかりかねる。
あぁ、そうだ。ComeFairy(全写真ライブラリ)の中で、唯一1枚だけ人を撮った写真があった。
これだ。
写真へのコメントより引用・・
>愛を感じますねまさに愛と奇跡
>最高!おねーさんじゃなくて、おじさんってのがいい!
>すげぇ〜すげぇ〜、このおじさんすげ〜。突然すみません、びっくりしました!
幸い、私にも全く人の良い所を見つける事ができないわけではないようだ。
なぜだか、存在自体、好感の持てる人というのも稀に存在する。そういう人は穏やかで、がめつくない。オーラのようなもので人は人を判断しているのかもしれない。
悪い所は非常によくわかる。
これもひょっとしたら数、パーセンテージの問題かもしれない。
悪魔的な人間の数が圧倒的に多いから、それが普通という事になっているだけなのかもしれない。だとすると、その逆がもしあるなら、悪魔的な人間のほうが異端者という事になる。
私は他人から見て、どちら側の人間に見えているのだろうか。
写真からして良い人なんだろうなぁと思われている事は多いらしい。
あとユニークとか独創的とか。良い所はそんな所だろうか。
子供の頃は、レゴブロックで、何とも形容できない変なものを組み立てていたらしい。
悪い所は「哲学的でうざい」「口が悪い」「エッジ(悪いと見なされる場合もある)」
他にも色々あるなぁ・・。(苦笑)
ちなみに蝶のよってくるオジサンの撮影許可はその場で得てある。
私を俯瞰視点で私が見ると、たぶん、気難しそうに見えるだろう。