2008年8月16日土曜日

鬱記事2008

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本当の事を言うと、自分も聴いている他人も鬱になるものです。よって本記事は、鬱記事です。読まないというのもまた一つの賢い選択です。

もしもの話、あくまでたとえ話である。原始的な性機能というものが取り払われた、各機能が完全にソリッドステートな(日本語に訳すのはちょっと難しいが、固く静かで安定しているイメージを連想してくれればいい)、社会が存在したとしたら、その社会にはつまり変化というものが少ないと言える。

言い換えれば、平和とは、自動的に退屈さを運んでくるものなのです。

人類が戦争をやめないのも、メディアがバッドニュースを取り上げるのも、スキャンダルを書き立てるのも、それでもまだ足りずに過激なコンテンツを求めるのも、さらにさらに、それが実社会へと影響を与えて治安が悪くなるのも、その原因はたった一言で説明する事ができます。

その名もずばり「退屈だから刺激が欲しい」の一言に尽きるのです。

平和が長く続かないのは、遊びたい(兵器など心理学的に言えば男の子のおもちゃに過ぎません)という刺激への欲求を満たそうとするからです。

世界は、さらなる刺激を求め、いざとなれば内戦までして刺激を求める国でいっぱいです。日本も戦国時代という時代がありました。その頃は、コンテンツというものが無かったので、女性は十二一重というありえない長〜い着物を着せられて大奥に押し込められ、刃渡り1メートルもある凶器で、野で集団斬りあいをしていたのです。戦争が起きていない先進国は、言わば過激なコンテンツによって刺激への欲求を満たしている面があるのです。

それが一概に悪い事だとは思いません。内戦や戦争になるよりはマシだからです。しかし我々は何と言う愚かな種なのか、とは思いませんか。

そういえば攻殻機動隊の最新作はソリッドステートソサエティ(SS社会)という名前でしたね。福祉をテーマに持ってきていました。だいたんな。

仮に、人類に万が一とんでもない激変があって、結果としてソリッドステートソサエティを構築できたとしても、その際にはコンテンツをさらに過激化しなければ、平和になっただけ増加する人々の退屈を癒す事はできないでしょう。言い換えれば、退屈になったら性と暴力(アメリカ風に言えばセックスエンドバイオレンスって所か?)を求めるという人類の本質は、この先の時代も無視できないと言う事です。よくSFでは、例えばお互いにルールを決めて戦争専用地で殺しあう「限定戦争」などを使って人々の闘争本能を癒そうと試みています。しかし、たいていは失敗に終わります。

結論から先に言うべきでした。
人類が(外的要因によって)精神的にレベルアップしなければ、人類が抱える(性、退屈と刺激、暴力、プライドとコンプレックス)という根本的な問題は解決しないのです。

そういう目で世の中を見渡してみてください。驚くほど当たっている事にぞっとするはずです。残念ながら、human is cheapと言わざるを得ません。この先、何らかの理由で人類の画一的な精神のレベルアップという事件が起きない限り、我々という古いタイプの人類は、もっとマシな知的生命体から見ればおそらくは、存在価値すらあるかどうか疑わしいほど低レベルなのです。残念。

ちなみにこの際、IQの高低は精神的な幼稚さと何ら関係がありません。わかりやすい例で言えば、マッドサイエンティストです。彼らは言うまでもなく、賢いが本質的にはバカな人種です。

インターネットの記事一つで人生観が変わる、という事はあり得ます。一行にも満たない文章ですら、重要な単文は例えば「ことわざ」などとして残っていきます。

しかし、この記事は真実を突いているが故に、無視されるでしょう。その事をわかって上で書いているものです。嫌な図星は、内心怒りながら無視するか、もしくは見なかった事にするというのが普通の人間の対応の仕方です。

我々は、「生まれつき劣った精神」という牢獄の中で産み落とされ、生きる事を余儀なくされた哀れまれるべき種なのですよ。ですから、「主よ哀れみたまえ」等の言葉が現代にも残っているのです。大絶滅という言葉を過去に取り上げましたが、過去にあった大絶滅は6回、その際にはだいたい5%の生き残りが増えるという構図でした。そして現代の7回目となる超大絶滅期に至っては、過去の大絶滅の1000倍の速度で進んでいるのです。

もはや、我々は、我々が古く劣っていてしかもバカな種である事を認めざるを得ない所まで来たと言って良いでしょう。このままでは、他の種を巻き込んで絶滅するのも時間の問題です。

自然風景写真を撮る者としては、(Yahoo Japanカテゴリにはそう書いてあるから・・)冒頭に示したような種が生き残れるならそれでいいか、と諦観(あきらめの気持ち)でいっぱいです。

仮に万が一、人類が「もう一度だけやり直せるチャンス」を与えられても、どんなにがんばって取り組んだとしても、先に述べた理由により、精神的にレベルアップしなければ100%の確率で失敗するのは明らかです。

本当の事を言うと、自分も聴いている他人も鬱になるものです。よって本記事は、鬱記事です。読まないというのもまた一つの賢い選択です。

最もプアーな選択は、無理して読んで頭に血がのぼって痛々しいコメントを残すという選択でしょうか。そういうのはもうやめましょう。オールドタイプの我々でも、ある程度は理性的になる事ができるのですから。