2008年8月9日土曜日

好評のニコニコ動画とairmarketさんのレコメンド

自分の作品が評価されるという事に関しては、いつも本当に恵まれているほうだと思う。作品を投稿する側(クリエイター側)にとっては怖い場所ともされる事もあるニコニコ動画には、MacBook DPの富山植物セレクションのスライドショー、それに先日
二次創作等OKの音楽集を投稿したが、いずれも好評で、悪質な書き込みは見受けられなかった。

先日投稿したものには、「これは評価されるべき」「すばらしい」というコメント、「もっと評価されるべき」というタグがつけられた。(どっちも盛り上がりに欠けるのが難点ではあるが・・アニメ、MAD系の勢いの強いニコニコでは致し方ない所だろう)

これから登場するニコニ・コモンズ(トレースできる素材庫)にも関心をもっているのだが、ニコニコ作品やMADに使うのならかまわないが、商業作品に無料で使われたのではたまらない。「商業作品の場合は有料」という設定ができるのか否かで、素材をニコニ・コモンズに入れるか否かを決めようと思っている。

また、無料配信(カンパウェア)に切り替えたミニアルバム「Brass Espresso」にも、airmarket氏から「お洒落で大好き」という旨のレコメンドを頂いた。氏は作れば必ずランクインというような感じの方で、個人的にフェイバリットな
方だったのでなおさらうれしい。

受賞、取材、ランクイン、ナンバーワン、招待状、新しいジャンルの創出、惜しみない賛辞。いわゆるクリエイターにとっての夢を、私は結果的に実現させてきた。贅沢な話だと思う。

だが、私はその事をあまり喜べないでいる。なぜなら、私が、ある、原因不明の症状を呈しているからだ。
以下にどういう事なのかを示す。

悪い事も良い事も、記憶というものがはっきりせず、普通の人が映像として思い出せる記憶というものがほとんどなくなってしまっており、言うならばすっぽり抜け落ちてしまっている。これは、経歴の所に書いてある交通事故で頭を打ってからだと思う。それはもう派手なぶつかり方(頭から突っ込んで10メートル宙を舞った)だったので、精密検査で異常が見つからなかったといえども、何らかの後遺症が出ても不思議はない。実際、その直後に突然、映像等の才能に目覚めたのだから何かあると
考えたほうが良さそうだ。頭を打ったショックで覚醒するなんて、まったくどこのアニメの話だろうか。

また、感情というものが薄くなり、物事を機械的にこなす傾向が出てきた。しかし、コミュニケーション能力は昔よりも格段に向上している。それでも、本人の中ではそれは淡白な日常にすぎず、良い事も悪い事も何ら本人の中では印象に残らない。先に述べたような、一種の変わった高機能脳障害のせいであろうと私は勝手に思っている。

そういった私独特の気分を、私は昔書いた小説「世界と自分の天秤」の中で「楽しいという項目に分類されているけど、楽しいとは思えないよ。」というせりふで表現していたのだった。興味のある方は読んでみてはどうだろう。これもI'm EasyManから読めるようになっている。ただ、この小説は私の中ではすでに古いものになっているので、機会があれば
これをベースにしつつも大幅に修正したものを書こうと思っている。(特に、なんといってもエンディングが悪すぎた。)

色々なストレスに対して強力な免疫がついた反面、精神の内面における人間らしい受け取り方や記憶の処理を僕は失ってしまったのかもしれない。その事を悲しいとも思わないのがある意味で強靭かつ重傷なのかもしれない。

栄光と引き換えに、栄光の喜びを体感できなくなってしまったというのは皮肉な現実の話ではあるが、ひょっとしたら、そのほうが不公平でなくていいのかもしれない。