2009年1月10日土曜日

人間は水ぶくれの一種である

また「僕のうざい側面」である「哲学モード」で、僕の好きな長文打ちをやってみよう。先ほどの「生命体についての考察」の後付け。

でもこれが無いと創造的になれない、これが創造性の根幹を成している事も事実だから面倒くさい。

熱いものに触って、指先に大きめの水ぶくれを創ってしまった事がある。その水ぶくれを見て触っていると、このような感想を持った。「ぶよぶよしていて、まるで、自分の上にもう一つ自分が出来たようだ。」

その水ぶくれは、破けて水が出て、そのうちなくなった。これを見てこう思った。「まるで、ホラーで血がドバッと出るシーンのようだ。」

総じてこう思った。「人体とは、一種の水ぶくれと定義する事ができる。"ホラーで血がドバッと出て怖いのは、人間が水風船でできた血の塊だという事を知るからだ"とどこかで聴いた事があるが、つまりはそういう事なのだ。」と。

「自己組織化と自己増殖化を基本的傾向とする、サイバネティックスでニューラルな知性を持った水ぶくれ」とでも言えばいいのだろうか。水ぶくれの一種としては、ずいぶん無駄に複雑なシロモノで、当方としては色々と迷惑を被っている。

そういう意味では、植物や昆虫や建築のほうがずいぶんとシンプルで、かつ多様性があって美しいので、僕はそういう写真を好んで撮る傾向がある。また、MacBook DPのトップ記事にもある通り、人は基本的に撮らない。なぜなら撮りたくないからだ。

人は、

出す方
汗をかく
スモーラートイレに行く
様々な汁を出す

入るほう
水および水を含むものを摂取する

というように、組織化した水ぶくれである体を維持するために、絶えず水の入出力を行っている。このサイクルを科学的に算出し、適切な「身体水循環」を行えば、気分もだいぶ良くなるのではないだろうか。日頃身につけているiPodやiPhoneなんかでできないだろうか。Nike+みたいにさ。専門家が理論を作ればできると思うよ。

また、火葬を見た事のある人ならわかるだろうが、人間の身体というものは、焼けば骨を残してきれいになくなる。

骨も、(遺体遺棄にあたるのでやってはいけないが)土に埋めればやがて土に還る。

くどいようだが、人間とはつまりそれ自体、特別な存在ではないのである。その人がどんな人かは、正直言ってこういう側面から見るとあまり変わりない事になる。