2009年1月25日日曜日

魔法は必要か

「超能力は必要か」の後編だが、短く済ませる。

魔法は、悪魔の方法と書いて魔法と書く。実際、原点である中世の魔法も、悪魔との契約に基づいて力が得られる事になっている。魔法は、そもそもダークなパワーなのだ。

高度なテクノロジーは魔法と区別がつかないとはよく聴く台詞だが、こちらのほうがクリーンである。

一つだけ言える事は、筋が通っていない理不尽な便利さは、悪魔を連れて来るという事だ。つまりは、「何の代償も無しに便利な力を手に入れる事はできない」という事でもある。そして、人間のそんな身勝手で自分勝手な要求に答えるのは、たいていの場合悪魔であるという事である。

それとは対照的に、人格者にのみ備わる事がある、人を癒す力というものがある。(治癒力など。)これについては特に名前がついていないが、ホーリーな系統のパワーと見なす事ができる。しかし、こちらはよほどの事が無いと備わらない。

魔法は比較的安易に備わるが、本人にとってダメージも大きい。対して、ホーリーなパワーは、授かるのが非常に難しいが、本人にとってダメージは無いという事なのだろう。

いずれにせよ、一般の人がなんとなくイメージする単純に便利な魔法や超能力と違って、もし現実に超能力や魔法があるとしたら、かなり過酷な人生になるという事だ。

また、これは各種の分野の才能ある人たちにも同じ事が言える所がある。彼ら(彼女ら)の人生はしばしば、能力を誰かに利用されたり(例えば、安月給のクリエイターをさせられる等)、怪しい所に勧誘されたり、能力を使いすぎて精神を病んだりする事が多い。人生を才能に振り回されてしんどい思いをするというのも、ありふれた話だ。

また、才能がどうして出現するのかについては、過去世で努力した結果と私は解釈する。才能は努力100%でできているのだ。もしも、筋の通っていない理不尽な才能、すなわち努力の積み重ねの結果ではない才能があるとすれば、魔法の例と同様に、何らかのペナルティが同時に課せられていると考えるべきだろう。

つまり、能力に振り回されてしんどい思いをしたく無ければ、能力を封印してしまう事しかない。(意図的に、使わないようにする。)意外に、こういう「実はすごい能力があるけど、それでひどい目にあったから、それを隠して普通の人をしている」人というのは、昔も今もたくさん存在している。

ホーリーなパワーは、他人への無条件の奉仕などによって、ごくまれに授けられる事があるようだが、あくまでもそれは結果的にであって、パワーが欲しいから他人に奉仕するというのでは、間違っても授けられないだろう。