2008年4月10日木曜日

我々はこういった具合にコンピュータシミュレーションの産物なのだ

この記事は最新の私の人生観を簡単に説明する。

まず、重要度の高い情報が流入する人物と、そこそこ重要な情報が流入する人物、そうでない人物にわかれる。なぜそうでない人物のパーセンテージが高いかというと、相対的に、そうでない人物が多くないと重要度が高まらないからと思われる。

評価を気にするという事は、自分を経由して出た情報を自分のものだと勘違いし、さらにそのフィードバックを求めている状態と解釈する事ができる。

評価されてうれしいのは、要はフィードバックが自分に帰ってきたのがうれしいと感じるのである。何かしらの事情で、王道と評価される人物は、上位の情報ゲートとつながる運命にあったのである。

他人の芝生が青く見えたり、嫉妬をする心理構造については、他人の情報の流れがメインストリームに近かったりした場合で、なおかつ自分が「そうでない人」だった場合、さらにそれを比較した場合に「あいつは情報のメインストリームに近くていいな」と感じる事が原因で起こる。

しかし、メインストリームに居る側は、上位からこっちの都合無視で勝手に流れ込んでくる情報を、こっちの世界の形式に変換(コンバート)しなければならないので、いい迷惑である。よく、あっち側とこっち側を行き来できる人は天才で、あっち側に行って帰ってこない人が狂人と呼ばれるが、あっち側というのが私流に言う所の「上位の情報ストリーム」である。それで結局なぜ私たちが様々な行動を行うかというと、あらゆるところで見られる普遍的な現象である「反復」をしているにすぎない。つまり、この世界は言わば電柱の影のようなもの。光や電柱は、この世界には存在しないし、観測もできない。電柱の影が、電柱や光の事を観測したり、それについて考えられるだろうか?よしんば考えた所で、当たる確率は非常に少ない。

つまり、存在するだろうが私たちには見えない上位の世界の、不完全な反復の結果が我々の行動であり、世界なのだ。これは神話や聖書等の考えには基づかない、私独自の考えだが、まぁ、似た事を考えている人も居るだろう。この世界が、上位の世界の反復の結果なら、知的財産権などどれだけばかばかしい問題かというのがわかるはずだ。わからない人は、用語を一つずつ調べるなどしたらいい。それでもわからないなら、あきらめてください。

全ての現象が、コンピュータの基本的な挙動のそれに類似している。

そういう事が頭でも体感でもわかっていると、全てがある意味で「どうでもよくね?」という事になりかねないのでご注意を。ではそういう事を(おそらくは真実に近い所を)わかっている私はなぜこの世界にとどまっているのか?普通なら、出家(それもあまり賢い選択ではないかもしれないが)したり、セルフ○リングしたりするかもしれないが、まぁ、私が形而上学からどうやって脱却して、なぜ普通に生きているのかはこれまた伏せておこう。